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■濱田 裕■
東京都 芝学園高校卒業 |
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「稲魂はレースはしない。 あくまで海を知り、クルーザーに親しんでもらう。」
「ボランティア活動を主体にやっているよ。
「それと、大事なのは、なんといっても実技。ヨットに乗ったことが一度もない人たちにも、広く、
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![]() <左:還暦祝いに早稲田ヨットクラブと朝日生命ヨットクラブから送られた舵輪> <右:スナイプマスターズ世界選手権のサイン盾> |
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| フランス製のギブシー372。それが今の稲魂だ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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話は濱田さんの現役時代に移る。
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![]() <左:横浜でのインカレレース風景> <右:蒲郡のクラブ選手権(早風クラブで出場)> |
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<横浜合宿所の庭で加藤文生学院部員> (のちの加藤監督若かりし頃) ![]() <呑龍デッキー(当時のLクラスの艇)> |
「僕が入部した時は早風を作る年でね。ヨット部が大型艇の募集をやってた時なんだよ。 昔は大型艇と小型艇、別に募集してて、9月に大型艇の募集があった。 ヨット部には、その、『早風係りにどうだ』という話で入ったんだ。だから学生のときは早風係りだった。 その時の艇長が、28年卒の僕のふたつ上の佐伯浩さんという人だった。」
「武村さんの話にもあるけれど、あの時は隅田川造船所船を作って、勝鬨橋でマスト挙げてと言う時代だよ。 ![]() |
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濱田さんは早風係りとしてヨット部に入部したがディンギーの活動ももちろん行っていた。
「ディンギーではスナイプに乗っとった。 濱田氏は現役の時には大して活躍できなかったと言って笑うが、ヨット部卒業後も実業団の大会に出ている。
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「僕の高等学校の先輩が立教ヨット部出身で朝日生命にいたんだけど、その人に 『船もあるし女性もいるから(笑)来ないか』 って誘われて(笑)
その頃の実業団はちょうど各会社がヨット部を作り始めたころだよ。 僕は、もう死んじゃったんだけど同期の佐伯恵三と朝日生命に入って実業団の大会に出たことがある。」 「岡本さん (岡本造船所 の岡本豊氏) が横浜の造船所のあそこでポイントレースなんかやってた時代だよ。」
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![]() <朝日生命ヨット部・横浜ヨットハーバー堤防> |
![]() <朝日生命時代の濱田氏・鎌倉海岸> |
「その後、早風が故障して寄付が必要になって、なんか方法ないかということで、 先輩に保険に入ってもらって、その手数料をクルーザーの寄付にしたことがある。 それが32年か33年だったかなあ。 ただOBにお金を寄付してもらうだけじゃ申し訳ないから、保険に入ってもらって、その手数料を寄付しますからってことでお願いしてね。 (そのパターンは) 「よくある」っていわれたよ(笑)
「僕はその後昭和34年に東京を離れたんだけど、早風が37年に沈んだでしょ。
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早風の最期に立ち会えなかった。 それは学生時代「早風係り」だった濱田さんにはとても悔しく、寂しい出来事だったに違いない。
やはりどのOBの心の中にも「それぞれの早風」がある。 話を濱田さんが東京に戻ってきた時に戻す。 |
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「実はその東京に戻ってきた昭和53年の1月に運動部のお金が危機に瀕してるという話が出て、OB会をなんとかしないとという事になった。で、会報を使ったんだ。
OBを集めてなんかやらないとお金が集らないから、OB会の会報を発行した。 どっちかというといかにしてOBを集めて金を出してもらって学生をバックアップしようかというのが僕の仕事だった。」
(東京に帰って来た濱田さんは会報を使って学生をバックアップしていく活動と同時に、朝日生命ヨット部の活動も欠かさなかった。
「帰ってきたらすぐ当時総務部長をしていた先輩が
まず人集めからやったね。 江ノ島にあったシーホースが全部で7杯あったんだけど、東京に帰ってきたら2杯しかなくて、しかもボロボロになってた。
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![]() <朝日生命時代のヨット部員> |
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東京に帰ってきてから精力的にディンギーで活動してきた濱田さんの最後のレースは スナイプのマスターズの世界選手権だったという。 |
![]() <シーホース全日本・江ノ島沖 三色スピンが朝日生命> |
「45歳以上でなおかつ合計85歳以上。
蒲郡の海陽で世界選手権があったんだけど、それを最後にしてやめた。
世界選手権だったからそのときセールまで新調してやったけど、やっぱり勝てなかった。もう、ディンギーはやめたね。今から14年前だ。 もうね、船の上で脚すべらしたり、すっころがるようになったらもうだめ(笑)
特にシーホースもスナイプもそうだけど、今は底が浅いだろう。
あれにはまいった。
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| ディンギーレースを退いた後の濱田さんは活動の舞台をクルーザーに移す。 稲魂船長としての活躍が始まる。 |
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江ノ島へ持って行ったいきさつは、うちの先輩で昭和22年卒の清水さんて人が、江ノ島にクルーザーのバースを持ってたわけ。『油壺でなくて江ノ島で活動したらどうだろう。バースは学校へ寄付するよ』って。その代わりに学校がバース料を払うという話になった。」 ところがこの話、そうは簡単にいかない。
「話が出たのはいいけど、
ただその時たまたま江ノ島ヨットクラブの会長やってたのがOBの昭和30年卒の松本さんなんだよ。
彼が県といろいろ交渉してくれて、名義は清水さんの名前で、清水さんが稲魂をあそこに入れるという名目で、 |
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はじめは濱田さんの同期のOBの方々や知りあいのメンバーを中心に、利用1回2000円から始まった。 でもそれだけでは維持出来なかったという。
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![]() <OB仲間はじめたくさんのお客さん達にイベントを提供した・ゲスト主体の艇内> |
「江ノ島へ来てから、いろいろ経費がかかるんで、年間10回までは2万円だからということで年間2万円を会費とした。 江ノ島へ来るまでは一回あたり2000円。学生は無料だ。 OB1回2000円、お客さんもゲストも2000円ということで、なんとか修理代を出しいこうというふうに利用してたね。
油壺にいるときは三崎まで行って、あそこでマグロ食わして帰ってくるとかね(笑) ![]() |
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「現在は江ノ島で週末の定期運行として活動すると同時に、江ノ島ジュニアヨットクラブのレース本部船や、身体障害者のヨット体験会など江ノ島ヨットクラブのボランティア活動もしているという。
クラブの活動をお手伝いしようということで始めたのが5月の第二日曜日に身体障害者のヨット体験会というのがあるんですよ。
あと江ノ島ジュニアの本部艇のボランティアもしている。
故小沢さんのときもやったんだが散骨も結構やるんだよ。他に故石井会長、故河村さんなど。
それ以外に今9月にやってるのが評判がいいんだけど片瀬小学校の体験会
平日だと現役社会人のOBは頼めないから定年組みが頑張る。 |
「稲魂はレース艇ではありません。海と船を楽しむこと
「社会奉仕という意味でボランティア活動を主体にやってるよ。
それとやっぱり大学の船だからね、学生を支持して行かないといけない。
大事なのは、なんといっても実技 |
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気の合う仲間と一緒に、純粋に海を楽しむ」 そんな濱田さんの下にはたくさんの仲間が増えた。
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「最初のメンバーは8人だったんだけど、OBなんかも合わせて今はたしか30数人いるんじゃないかな。 だけど最初は8人位しかいなかった(笑)今は30何人で当番制にしてるよ。
第一週が小坂君の41年卒組、第二週が川原君なんだけど、若いこの代がなかなかメンバー集らんということでちょっと大変そうだ。
今は小坂くんがコントロールタワー(艇長)やってくれてて、会計が三塚君
やっぱり70いくつになって連チャンになってくると、だんだんきつくなってくるよ(笑) |
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「稲魂はレースはしない。 OB会の会報にもはっきりと明記されている。」
「もともと早風の時も、前のクルーザー(稲龍)にしても全部レースが主体だった。
『実技で主体で使うから寄付します。そのかわり出すものはお願いします』と、
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あくまで海を知り、クルーザーに親しんでもらう。 そのモットー、規則に憧れて、たくさんの海を愛する人たちが集まっている。
「レース出たいんだけどね、レースに出るにはメンバー集めなきゃならない
この前も江ノ島クラブにレースに出ませんかといわれたんだけど、レースに出るには最低でも6人の経験者がいなきゃ無理なんだよ。
東大もクルーザー班がある。 「そう、そのためには学生の中にクルーザーを知ってる者を作っていくことが大事だ。」 |
![]() 後列:森氏(S41)小坂氏(S41)濱田氏(S30)早川氏(S49)原田武氏(S37)遊佐氏(S30) 前列:川原氏(H1)三塚氏(S49)斎藤氏(S40) |
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「ほんとは二・三年前油壺におった頃は、稲魂係って部員がいたんだよ。 彼らは結構乗ってくれたんだ。 永野間くんとか、山本君、その前の島田君、大塚君、吉峰君、最後は重(しげ)くん。 それから急に人が減ったんだよ。あの頃・・・ ちょうど小澤さんの散骨式があった頃かなあ・・・」 「本来は学生の船だし、部の船だからね。 我々のときは学生がみんな管理してたんだからという思いもある。」
「でも、あの頃急に部員が12・3人に減ってしまって、学生のレースに出るのもやっとという状態になってしまってね。 ![]() <創立者・晩年の小沢名誉会長をかこんで> <後列左より中田氏(S31)濱田氏(S30)武村氏(S32)○○氏(?)大氏(S40)大原氏(S53)> <中列左より安藤氏(S30)鈴木氏(S30)千葉氏(S30)是枝氏(S30) 松本氏(S30)遊佐氏(S30)安井氏(S31)舟岡氏(S31)> <前列左より石川氏(S28)伊井氏(S25)小澤名誉会長 石井会長(S28)河村氏(S28)金澤氏(S29)> |
<故小澤氏 散骨式> お孫さんが舵をとる稲魂で海へ還る ![]() |
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実は、畠山監督も、この稲魂係りを復活させたいとおっしゃっている。 今は部員もその頃の12・3人ではなく、33人になっていることもある。
かって学生ヨットで最大のクルーザーを持っていたのが早稲田だった。
いつも、早稲田が先端を走っている。
「僕は、実技の終わった後とかに、以前にようにクルーザー係りの部員募集をしてもいいんじゃないかなと思う。 |
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一番たいへんなのはやっぱり、急に天候が変化したときの、持って行き方だけだよね。発着とね。
特に秋、台風の前後には気候の変化が激しい
しかし、どんな天候でも走らせる
まあ1人か二人好きでやってくれる人がでてくると、それで跡継ぎ作ってくれるといいと思うよ。最初から全部はできないだろうけど。 |
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「月光とちがって、稲魂のばあいエンジンのパワーが細くて1つしかない。作りが小さいからあれ以上大きくもできないんだよ あの船。それが難点。」
「レースとなると無理をするから、だから稲魂は無理してレースしなくていいと思う。 「あと10年くらいは稲魂が持つかもしれんけど、その次にはレースの出来る船をつくればいいんじゃないかな。
その時までにクルーザーの経験者を増やしておかないと 「僕の場合は『早風係り』から早稲田ヨットに入って、稲龍・稲魂と実技でお世話をしてきて・・・
まあそんなことで、OB会の先輩たちと、たくさんつながりができたってことは確かだよね。 |
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そう話して濱田さんは笑われるが、 ここまで海を愛し、稲魂を舞台に、多くの方々を海へつれて行き、 たくさんの笑顔に囲まれた10年を稲魂と過ごされた人生は まちがいなく、とても豊かだと憧れを覚える。
今も、10年後の早稲田ヨットの姿を思い、 |
| 企画制作:3年HP係 鈴木恵詞 |
