早稲田大学ヨット部

■並木 茂士■

早稲田大学高等学院ヨット部出身
早稲田大学第一理工学部卒業
1977年・1993年トランスパックに出場
その他世界の海で数多くのレースに参戦。
日本外洋帆走協会会長・チーム月光会長を歴任
2003年からヨット部OB会長

 
「同じスポーツの先輩後輩としてきちんとするのは良い事だけど、学生はOBの子供じゃないのだから。
ネコかわいがり、飯食わせて酒飲ませて、家へ来いとか居酒屋へ来いとか。それは人間が進歩しないよ。
そういうのは俺は好きじゃない。」

「かわいがることと教えることは別問題。」 と話されたのが印象的だった。

油壺の細い路地を入って行った先に、ガラス張りのひときわきれいな建物がある。
この「月光ハウス」は1960年に建築されてから長年セーラー達の憩いの場となってきた。そのリビングに互いが斜めに向き合うように座る。すると開口一番
「今年の琵琶湖(全日本の開催地)ではさ・・」 最初からヨットの話になる。

「湖だから潮はないけど、藻がすごく多いからセンターだけじゃなくラダー(舵)も上げるような練習をした方がいい」
ただ激励の言葉をかけるのではない。技術的なアドバイスなのだ。
そして言葉の隅々にはどれだけ長い間確実に早稲田大学ヨット部を「見て」きたかが現れる。
そして話は徐々に過去へと遡る。

「俺は学生の時はスナイプ乗ってたけど、レースの中心はほとんどがクルーザーだよ。
米軍のアメリカ人やらイギリス人がいい船持ってたから、その船とのいろんなレースに出ていたね」

今の学生はほとんどがディンギーに乗っている。
大学ヨット部と言えばほとんどがディンギーの大会に勝つことを目標としていて、クルーザーに乗る機会はめったにない。
しかし以前は逆だったのだ。

「だから引越しの時とかに賞状が出てきて、『あ、俺 全日本で勝ってるんだ』って(笑)あんまりディンギーのことは覚えてないんだよね」

前会長 土肥氏は並木氏の後輩であり、並木氏のクルーだった。
それまでの早稲田で役員は後の代に引き継がれて行くもので、先輩である並木氏が会長を引き受けるのは異例のことだった。
「どうしても頼みます。私じゃどうにもならないから。ぜひお願いします」
土肥氏ばかりではなかった。多くのOB 並木氏の先輩後輩が入れ替わり立ち代り説得に現れた。
並木氏は 日本海洋帆走協会という外洋部門の会長で、日本セーリング連盟との合併を果たしたところだった。
「よし、じゃあ 俺の好き勝手にやらせろ」それが会長就任の条件だった。2003年のことである。
そして2005年7月畠山氏を監督に据えた。

それから2年。
「今年からは学生の個々の性格とか技量とかも把握できると思います」畠山氏は今年言っていたという。



「学生のためにね、やっぱり、強くしなくちゃいけない。
強くなると楽しいだろう。胸に日の丸付けて。
東京オリンピックの時は早稲田OBから何人でたか。
その後行ってないだろう。」

実際 早稲田は年々インカレ最終順位を上げてきている。
2005年 3位
2006年 準優勝
今年に入っても史上初の春の関東インカレ完全優勝に始まり、
出る大会は全て早稲田が優勝している。



「今年の琵琶湖はこの間畠山に言ったよ。
三戸浜で練習する時、スナイプはさっと舵ぬいてさっと入れる方法練習しろ
舵を切らなくても、舵ぬいてもまっすぐ走ることを練習しろ
5・6年前畠山に言ったのは、J24でも、舵を使いすぎず、人間の体重移動とジブとメインのトリムだと。
舵切る時はジャイブとタックとマーク回航だけだと。

そういう教え方は4・5・年前までわかる監督がいなかった。
畠山には、Jからのそういう事を、ディンギーで学生に教えて来いって言っている。

タダ根性じゃ走るもんじゃない。根性はみんなあるんだから。
昔、日本は大和魂だって言ってたけれど、そんなのアメリカだってアメリカ魂あるんだから。
この間のインカレ,去年の全日本ではだいぶよくなった。」

確かに早稲田は強くなった。
しかし並木氏は単に大学競技で強いだけでは満足しない。
大学ヨットを越えてめざす姿のイメージがあるのではないか。
どうしても学生に「遠くを見ながらやるレース」を体験させたいと語る。
 
「この相模湾は南から西へひらけてるでしょ。
雨が降るかとか風が変わるとか吹くとか一目瞭然わかるんだよ。
三戸浜でディンギーだけやってるのではわかんないんだよ。」

並木氏が学生のころは当時横浜の合宿所から東京湾を下って館山まで回航していくイベントがあったという。
しかしそれを出来るのは2年生から。だから1年生はその回航を楽しみに1年間頑張るのだという。

「それだけの長い距離仲間と一緒にヨットに乗れば興味も沸く。
技量もあがるし、何より、海もヨットも好きになる。」

「何年か前オックスフォードの連中が来てスナイプと470で4回づつレースやったことがあるんだよ。
そしたら、向こうの連中、初めて来た海で、1・2・3・4位だよ。なぜかって、赤ん坊の時から親と一緒に乗ってるわけだよ。
子供の時、ワンハンドやる 学生になってダブルハンドもやる・・」

「センスでもない、体格でもない。
要はヨットというものをディンギーだけに固執しないで大きく捉えることが重要なのだ。

と語る。

75周年の記念式典の時には大学総長に「早稲田でアメリカズカップに参加出来ないか」という話も出たそうだ。

しかしさすがにそれは難しい。

「でもそういう『夢』でいいんだよ。
夢は50年も見ているうちにほとんど実現していくからね。
今日明日にっていうのは無理だけど」

「俺だっていつかは太平洋トランスパックいきたいなとおもってた。1907年から今年で日本人がヨット始めて100年だよ。 俺がヨットやったのは1957年 その20年後には太平洋横断とかやってるんだから。それには一日も忘れず、神田行ったりして外国の本を買って アメリカのヨットの雑誌を買ってそれを持ち歩いて、ふだん勉強しないんだけどヨットの本だけは勉強するんだよ。何月の風向は気温は潮はとかどんなヨットがいちばんそのレースには合うかとか・・」

見続けているうちに夢はだんだん近くなってくる  と並木氏は語る。
事実並木氏はヨットを始めて20年で太平洋横断レース(トランスパック)に出ている。
そして今の夢は世界チャンピオンだと話してくれた。それは20代で胸に抱いた夢だった。
最初は遥かな夢であるようでも、胸に抱き続け、英語で本を読んで勉強を続けたり、
足元のひとつひとつを積み上げていくことで、いつの間にか夢は手の届くところに寄ってきてくれるのだ。
夢を抱いて50年近く。世界チャンピオンの夢が今の並木氏の手の届くところに近づいている。
 

「出来る限り若いあなた方には太平洋横断くらいな。
ヨットでパスポートもって違う国行くの楽しいぞ。
飛行機で行くなら誰だっていけるんだよ。」

“誰でも”の人生じゃつまらないだろ
そういうメッセージが彼から伝わってくる。

太平洋横断とまではいかないが、現在ヨット部も7月の末に油壺から熱海までのクルージングを予定している。
クルーザーに乗る、そして大きな海を知ることの出来るまたとない機会である。
先にもJ24と話に出たが、月光というチームがある。とても歴史のある強豪チームだ。
2005年には世界大会で日本人として初めて5位になった。
今年も月光はメキシコで行われたJ24世界選手権に出場した。そのチームについて並木氏はこう語った。
「月光は昔から早稲田だけで固まるなんてことはしてなかった。
たしかに早稲田が多いから他の連中は入りにくいかもしれないけど、一回入ってくれば誰も学校なんかで差別しないから。
明治 神奈川大 半分くらい他の学校。でも、学校がどこなんて考えたことない。
ひとつのチームだから。」

もちろん月光ハウスも早稲田の人間しか入れないわけではない。
今では並木氏の同期で他大学で活躍していたかつての仲間たちの
息子さんたちも月光ハウスを訪れるらしい。
そんな開かれた空間なのだ。




2007 J24 メキシコ世界大会

創部75周年式典
最後に「並木会長の考える早稲田大学ヨット部のあるべき姿とは」
という質問に対して並木氏は

「今現在ある姿があるべき姿の第一歩だよ」

と嬉しそうに言って、少し間を置いてから

「学校がきちんとあって、部長がいて監督がいて学生がいて、それが上から下まで一本になっている。
OBは資金的にも精神的にも、サイドから離れて応援する。入り込むようなことはしない。」

「と言っても、学生の自主性に任せきるわけではない。
きちんと物事をわかっている者が上から命令して、それをしっかり実行する。それはとても大事なことだ。
その姿を続けてきたからこそ近年の快進撃があるのだ」

と言った。

「なにもヨットの成績だけじゃない。
人間的にも社会できちんとした人間ができてくるんじゃないの。
君たちは海で上からの命令をきちんと聞ける訓練をしている。
フランスの一流企業20社くらい集まっていつも地中海でよく試験をやるんだよ。
ヨット30艇くらいだして4・5人づつ載せて会社の社員がのって3日4日のりっぱなして人間をチェックする。そういう試験の方法をやっている。それをあなた方は一年中やってる。」


・・・強くなること
本当の夢を見ること
ヨットから人生全体を支える基本を学ぶこと。

並木氏は70歳台の今も世界チャンピオンをめざす現役のセーラーである。
そしてヨット部75周年にあたって今日・明日を築きながら、次の25年、
つまり100年目の早稲田ヨットの姿を明確にイメージしているOB会長である。

しかし、何より それ以上に彼は一人の偉大な教育者だった。

文責:2年HP係 鈴木恵詞




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